60年代後半生まれの独身女が日々考えたことをつづります


by kiriharakiri
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祖母生誕100年

今日は母と食事をしたのですが、そのときにたまたま祖母の話が出ました。私は自分の親戚について知らないことが非常に多いのですが(だって誰も教えてくれないから・・・)、今日も祖母についての知らなかった話(不幸な話)を聞いて驚きました。

祖母は10年前に89歳で亡くなりました。生きていたら今年で100歳だったんだ・・・生誕100年か・・・100年!たったの!!

女を取り巻く環境は、この100年のうちに激変しているんですね。祖母の苦労苦労の人生を考えると、それはすごーく昔の話のような気がしてしまうのですが、いやいやそれはたった100年前に生まれた女の話なんだ、つい最近の話なんだ、忘れんとこ、と思います。

祖母の苦労話は、きっと同時代には似たようが話がゴロゴロしているのでしょうが・・・「貧乏な農家に女として生まれた」、これは自分の力ではどうしようもないことですが、それが祖母の人生を決定付けました。

祖母が学校へどのくらいの期間通ったのかは不明ですが、幾らかカタカナが読めるだけだったことから考えると殆ど学校へは行っていなかったのだと思います。字が読めないのだから一生の間に本を1冊も読むことはなかったでしょう・・・一切本のない人生。本からの知識も娯楽もない人生。それが一体どんなものか。私には想像がつきません。

とにかく、10歳頃には既に紡績工場で働いていたそうです(これは祖母から直接聞いた話)。

で、もう少し歳を取ったら嫁に行かされます。嫁に行った先で男の子を二人産んだそうですが、この二人が病気になってしまう。病気の子供を看病している間に(病院かどこか、家ではない所で看病していたようです)、夫は家で働いていたお手伝いさんと仲良くなってしまい子供まで生まれ、子供が二人とも死んでしまった祖母が帰ってくると、少し咳があった祖母のことを「紡績工場で働いていたから肺病だ」とかなんとか難癖を付けて追い出してしまったそうです。(というのが今日初めて知った話。祖母に離婚歴があったとは・・・幻の伯父さんが2人いたのか・・・この伯父さんたちが死ななかったら私の母ひいては私も生まれてこなかったのかも・・・。)

祖母は実家に戻ります。実家でもよく働いて、家の修繕のための費用を捻出したりしていたようです。そうこうするうちに、嫁に行っていた祖母の姉が亡くなります。姉の小さい子供5人が残されました。その子たちの面倒を見てくれ、ということで姉の夫の後妻となります。後妻というのがこれまた苦労や嫌なことが多かったようで、自分の娘や孫には絶対に後妻になって欲しくない、と言っていたそうです。(私は祖母が後妻であったことを長い間知らなかったのですが。)

新たな嫁ぎ先では子供を5人産み(そのうちの一人が私の母)、母のすぐ下の妹は赤ちゃんのうちに死んでしまいますが(私は長いことこの「幻の叔母」の存在を知らなかった)、残り四人は無事に成人します。四人とも遠方へ嫁or婿に行ってしまうのですが・・・(祖母と同居の長男は「姉の子」)。

祖母が50歳になるかならない頃、夫(つまり私の祖父)が亡くなります。大黒柱の稼ぎ手が死んでしまったのですから経済的に大打撃だったでしょう。私の母は中学生だったのですが、このこともあって、高校進学を諦めています。もちろん祖母の毎日は働け働けだったでしょう。

これから後は、私も直接知っている祖母なのですが、いつもいつも「内職」していました。藁を使ってお土産用の小さな蓑傘とか草鞋、馬の人形などを作るのです。祖母は非常に手先の器用な人でこういうことが得意でした。物凄く安くしか買い取ってもらえないようでしたが・・・何もしていない、ということが出来なかったのだと思います。

北海道と東京と九州へ行ってしまった娘達のところに子供が産まれると、字は読めなくても旅行は出来る!ということで一人で飛行機に乗って面倒を見にきてくれました。今は子供が産まれると母親の実家に行って暫く過ごすということが多いみたいですが、母達の場合は実家に兄の家族がいるわけですから実家に帰るということはしなかったのでしょう。私が生まれたときも、もちろん祖母は来てくれて、私の世話をしてくれている写真が残っています。遠方に出かけて子供たち孫たちに会うことができて、もしかしてこの頃が一番祖母が幸せだったのでは?と孫の私は思いたい・・・。

大分歳を取ってからも、やれ親戚が入院したとなると付添婦として病院に寝泊りしたりで、「大変な役目はすぐにお祖母さんにさせる!」と叔母が怒っているときもありました。

村で葬式があれば、その家へ行って台所仕事。(葬式になると、そこの家の人は一切台所仕事をせず、集まってきた村の女達が葬式に来た人へ出すご馳走を作ります。)同じくらいの年齢の、昔なじみの人たちが次々と死んでいき、そしてその度に葬式の台所仕事へと出かけていた祖母。どんなにか寂しかったでしょう・・・。

祖母が、いよいよ具合が悪くなって動けなくなった頃からは、今度は「嫁」との確執が表面化したりして(私はどうしても祖母の味方になってしまうので、この確執を冷静に判断できません)、最後の最後まで苦労が絶えなかったようです。

人のために働きづめ―――これが今から100年前に貧乏な農家に生まれた女の一生。それに比べて、私の人生はなんて呑気でお気楽なのでしょう。私は祖母が還暦の年に生まれたので、祖母とはちょうと60歳年が違うのですが、ほんの60年遅く生まれただけで、学校には通わせてもらい、それなりに稼げる就職先を見付け、自分で稼いだ金を自分で好きなように使い・・・パラダイスだな、こりゃ。

ところで、先月、私の従弟のところに女の赤ちゃんが誕生しました。私の祖母のひ孫にあたる赤ちゃん。曾おばあちゃんとちょうど100歳違い。100年後のこの子はどんな人生を歩むのかなぁ・・・幸多かれ!
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by kiriharakiri | 2007-03-04 23:30 | 身辺雑記