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60年代後半生まれの独身女が日々考えたことをつづります


by kiriharakiri
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イラン人のゲイの若者、難民と認定される( in the UK )

唐突に「イラン人のゲイの若者が英国で難民と認定された」という話です。

前ふりしますと、いつも読んでいるサイトからのリンクで辿り着いたブログに「イラン人のゲイの若者が英国で難民と認定され、そのことについて本人が書いた手紙が公開された(英語)ので邦訳してくれる人募集」とあったのです。ここ数週間、英語熱が上がってきているため(←元をただすとマイ・オペラ・ブームに行き当たるのですが)、ザッと読んだらそれほど難しくなさそうだし、勉強になりそうだからやってみるかぁ!と思って訳してみることにしました。

ところが、実際にやってみるとかなり大変。読んで大筋を理解するのと、その内容をはしょることなく自然な日本語に置き換えるということの間には深くて暗い河があったんですね・・・。(今頃気付いたの!?なんて言わないでください。)とにかく、労作となったわけです。せっかくの労作なんだから、自分のブログにも載せちゃえ!ということで、載せてみました。

ところで、この手紙は言うならば「イラン人のゲイの若者が英国で難民と認定された話」の最終章ですから、先にこの出来事についての経緯を簡単に紹介します。

イラン人メフェディ・カゼミさんは、1988年テヘラン生まれのシーア派イスラム教徒。17歳だった2005年9月に英国へ留学します。

カゼミさんは15歳のときクラスメートのパルハム(Parham)さん(男性)と、最初は友人として、そのうちに周囲には秘密で恋人同士として付き合いだします。

カゼミさんが英国へ行った後は二人はEメールでやり取りを続けますが、監視の目が厳しいために書ける内容は一般的なものに限られていました。2005年12月にパルハムさんからのメールが途絶えますが、カゼミさんは彼がテヘランの外にいるかインターネットにアクセスできないだけだろうと考えていました。

ところが、2006年3月にカゼミさんは英国在住の叔父から、パルハムさんがイラン当局に逮捕されたこと、彼が当局にカゼミさんの名前をしゃべったこと、実家に当局からの捜索が入りカゼミさんの父が激怒して彼にすぐにイランへ戻るように言っていること等を伝えられます。叔父からはイランへ帰るのは危険だから英国に留まるようにとアドバイスされます。

2006年4月、パルハムさんが処刑され、カゼミさんが今イラクに帰ってきたら同じように逮捕され処刑されるだろうからイランへ帰ってきてはいけない――という内容の電話がカゼミさんの父からカゼミさんの叔父にあります。パルハムさんはある男性と一緒に「同性愛者である」という罪で逮捕されて、過去に関係を持った全ての男性の名前について尋問され、その中でカゼミさんの名前が出てきたことも分かりました。

カゼミさんは「自分は亡命を目的に英国に来たのではなく勉強のために来たのであり、将来はイランへ帰るつもりであった。しかしイラン当局が自分が同性愛者であることを知り、自分を逮捕処刑しようとしているのでイランに帰れない。」として英国内務省に難民認定請求をしますが、却下されます。カゼミさんがイランへ戻っても必ずしも危険があるとは言えないというのです。そして申請が却下された結果、カゼミさんはイランへの強制送還されることになってしまいます。

*ここまでこのページ参照
*ここから先、カゼミさんの手紙の内容と被るので簡単に――

この強制送還命令は英国自由民主党の国会議員サイモン・ヒューズ( Simon Hughes)の働きかけで保留になり、英国にいると危険だと感じたカゼミさんはカナダで難民申請をしようとカナダへ向かいますが、途中で拘束され、その後オランダへ脱出します。

そしてオランダで難民申請しますが、欧州連合規則(欧州連合域内では難民申請は最初にたどり着いた国でしかできず、却下された場合は他の国で難民申請は出来ない)のために却下され、英国へ送られることになります。(*この英国への召還(送致)は英国側が要請したという情報とオランダ側が要請したという情報と両方ともあり、真相は藪の中のようです。)

その間(2008年3月12日)、欧州議会では「メフェディ・カゼミの事件に関する欧州議会決議」が採択されます

《決議要約》
メフェディ・カゼミの運命に関して深刻な懸念を表明する
性的志向を根拠とする迫害を難民認定の理由とすること
迫害、拷問、処刑の恐れのある第三国への国外退去命令を出すような欧州法及び国内法・手続きの適用をしないこと、さもなくば人権侵害にあたる
メフェディ・カゼミが難民として認定されるかもしくは欧州内において保護されること、生命の危機に晒されるイランへ送還しないこと、ECHR(欧州人権協約)第3条((拷問の禁止)何人も、拷問または非人道的なもしくは品位を傷つける取扱いもしくは刑罰を受けない)が欧州域内の全ての当局、今回のケースでは特に英国によって遵守されるよう関係諸国に訴える
各国は将来同じようなケースが起きないための行動を起こすこと
(*私の訳は結構怪しい・・・)

翌日2008年3月13日、英国内務大臣ジャッキー・スミスはカゼミさんの難民認定について再考すると発表します。

そしてついに2008年5月19日、カゼミさんは自分が難民として認定されたと発表します。以下がカゼミさんが公開した手紙です。


メフェディ・カゼミさんはこの手紙を友人や支援者に宛てて書きました。

友人の皆様へ

2008年5月19日の月曜日、私は英国政府より今後5年間の滞在が許可される難民として認定されたことを知りました。とても嬉しいです。私のことを心配して私が必要としていた支援をしてくださったり、困難なときでも懸命に助けてくださったりした英国、オランダ、イタリア、その他ヨーロッパ各国、カナダ、米国、そして世界中の方々にお礼を述べたいと思います。今の私があるのも皆様方のおかげです。皆様方のご助力がなければ、今頃私は生きていなかったことでしょう。皆様方のご尽力は決して忘れません。

また私のためにキャンペーンをしてくださった全ての機関――特に、エブリワン・グループ、ドイツCOC,IRQO、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、UK・ゲイ・ニュース、私の話を取り上げて世間に私の苦境を知らしめてくれたインディペンダント紙にお礼を申し上げます。それから、英国議会及びオランダ議会の議員の方々、とりわけボリス・ヴァン・デル・ハム氏、そして欧州連合、マルコ・カパット氏、マルコ・パネラ氏、ソフィア・イント・ヴェルド氏、なかでも英国政府に対し私を難民として認定するようにと発言したマイケル・キャッシュマン欧州議会議員にお礼申し上げます。さらに私は、英国内務大臣宛に私への難民認定へのお礼の手紙を書き、英国議会、ドイツ議会、欧州議会の議員諸氏へもそのご助力に対してお礼の手紙を書きました。オランダにおいて私の代弁者として活動していただいたB.A.パルム氏、英国での私の代理人であり二度目の難民認定申請をするにあたり協力していただいたローレンス・ルピン・ソリシターズのガブリエラ・ベッティア氏へもお礼申し上げます。

さらに幾つか特別なお礼を申し上げたいと思います。まず私の地元の国会議員であるサイモン・ヒューズ氏とスタッフ・チームの皆さんへ。ヒューズ氏は私の生命が深刻な危機に晒されていると知ると、2006年12月に予定されていた私の国外追放処分を保留するように内務大臣に要求してくれました。私に生きるチャンスを与えてくれ、奇跡を起こしてくれたのです。この仲裁がなかったら、私は今日ここにいなかったでしょう。彼はそのときも私のために駆けつけてくれて、今年の4月に結局は私が英国へと送り返されたときにも駆けつけてくれました。彼がいなかったら私が難民として認定されたかどうか分かったものではありません。

また私は最大限の感謝を私の二人の叔父に送ります。叔父たちの支援、そのままの私を受け入れてくれたこと、骨折り、私のためにしてくれたこと全てに対して、とりわけ彼らの愛情に感謝します。私はこのような人たちを叔父に持って大変に幸運です。そしてそんな叔父達をとても誇りに思っています。

私の人生は、私の以前の恋人が処刑されたと聞いたときから非常に困難なものとなりました。私は自分の身になにが起こるのかと非常に怯え、それで英国への亡命(難民認定)を求めました。私は英国の人々が同性愛を受け入れ、英国政府は人々にセクシャリティにかかわらず平等の権利を与えていることを知っていました。ですので、私の難民認定申請が却下されたときはショックで非常に失望しました。私はもっと期待していたのです。英国の人々と同じ権利を与えられると思っていたましたし、そのとき私が置かれていた困難な状況を英国政府は分かってくれると考えていたのです。

私はどうして自分の難民認定申請が却下されたのか理解に苦しみ、却下の判定を下した人物は私の訴えを聞いていないと思いました。私は訴えが退けられるとすぐに拘留され、事は矢継ぎ早に起こりました。ブライトンの学校に通っていたのですが、あっと言う間に私に対する国外追放命令の書類にサインがされ、数日のうちにイランへ戻されることになってしまいました。私は愕然とし、自分は死の淵にいると感じました。イランへ戻ってから国外追放の決定に対して上訴出来るだろうと言われましたが、そんなことが本当に出来るだろうか?と思いました。誰が訴え出るのだろう?私の死体が?そのとき私は私を救うことが出来るのは奇跡だけだと分かっていました。

この時点で私の叔父が――私が英国に来た頃は一緒に住んでいたのですが――地元の国会議員サイモン・ヒューズ氏に連絡を取りました。彼はすぐに国外追放の延期を採りつけてくれました。私はもう一度チャンスをもらえたことが信じられませんでした。私は一時的に釈放されましたが、数ヶ月後にはまた同じ状況になってしまうのではないかととても怯えていました。私は英国国内では安全ではないと自覚していたので、逃げることにしました。私はカナダへ行きたかったのですが、チェコで拘束され、ドイツへ送られ、その後オランダへ脱出しました。オランダにはゲイのイラン人亡命希望者のための特別な場所があり、公正な法律もあると聞いていました。

私はオランダで難民認定申請をした後、そのままオランダで約1年を過ごしました。とても苦しい1年でした。亡命希望者は法的権利を持っていません。許されているのは息をすることぐらいです。オランダでは、わざわざ私を助けてくれる人たちと出会い、この人たちとはとてもよい友人となりました。近いうちに彼らに会いにオランダへ行きたいです。結局、私の難民認定申請は、今回はオランダで、再び却下されました。理由は、欧州連合規則の定めで難民申請は最初に到着した国でしか出来ないからというものでした。私はこの決定に非常に動転し、とても落ち込みました。自分の命を守るために頑張ってきたし出来ることは何でもやったのに、それが何にもならなかった、他の人に出来ることだってもうこれ以上はない、と私は思いました。もう沢山でした。とにかく全てを終わらせたかったのです。これ以上生きていたくありませんでした。

私は4月に英国に戻りました。非常に恐かったですが、叔父たちに再会出来たのはとても嬉しかったです。ずっと叔父たちに会いたいと思っていましたから。そして地元の国会議員のサイモンにはとても感謝しましたし、また彼に元気付けられもしました。彼は彼に出来ることなら何でもすると言ってくれたのです。私が英国へ戻ってからすぐに叔父たちと私はサイモンに会いました。彼は私の話をよく聞くために時間を割いてくれました。彼は私が経験したことについて尋ね、内務大臣と政府になぜ私が英国に留まることを許可されるべきかを伝えると説明しました。それから彼は新たに難民認定申請をするために協力してくれる弁護士を紹介してくれました。その弁護士、ローレンス・ルピン・ソリシターズのガブリエラが一生懸命私のために働いてくれて私を助けてくれたことを本当にありがたく思っています。また、サイモンは私の難民認定申請を支援するための手紙を内務大臣宛に書いてくれました。私はこんなに沢山の援助を受けられるとは予想していませんでした。この国に私の窮地をなんとかしようとしてくれる人々がいることに私はとても感動しました。

英国政府が私を難民として認定すると知らされたのは月曜日でした。どんなに嬉しかったか言葉では言い表せません。これまでの人生の中で一番素晴らしいニュースです。私はホッとして、ただただ物凄く嬉しいです。再び人生をスタートさせることが出来るのだ、将来の計画を立てることも出来るのだと感じています。私は数年前に私が窮地に陥った時点で中断されてしまった人生の続きを再開することが出来るのです。今、私は英国に帰ってきて叔父の一人と一緒に暮らしています。勉強を続ける計画も立てているところです。是非とも大学へ行き薬学を勉強したいです。

私は未来にワクワクし、もう出来ないと考えていたこと全てをやってみることをとても楽しみにしています。でも故郷の家族や友人に会えないのは寂しいです。イランが懐かしいです。イランは私の出身地であり、私の祖国です。英国の人たちが持っている権利をイランの人たちが持っておらず、それゆえ私が今現在イランに住むことが出来ないのはとても悲しいことです。いつの日か、私がイランでも安全に過ごせるようになり、再び祖国に住むことが出来るように願っています。また、私と同じような状況にいる人々も私が得たのと同様の権利を得て、命を脅かされることなく、住みたい場所に住み、その人のセクシャリティに関わりなく自分が自分でいられる自由を持つことが出来るようにと祈っています。

とにかく今は、ここにいることが出来て無事でいられることをとてもありがたく思っています。英国、オランダ、イタリア、ヨーロッパ各地、カナダ、米国、そして世界中の方々に対して、私のことを理解してくれて、私の生きる権利や、私が私であり、そうありたいと願う私であってよいという権利を与えてくれたことに、もう一度お礼申し上げます。

今はこれ以上申し上げることはありません。マスコミ関係の方々と接することは遠慮させていただきます。私は自分の命、安全、安心を守りたいのです。私はただありがとうございましたと言いたいだけなのです。

メフィディ・カゼミ
2008年6月1日

(*誤訳あったらこっそり教えてください。ホラ、ブログの持ち主だけに見えるコメントというやつで・・・)

長くなってしまいましたので、このケースについて私が思ったことはまた明日にでも。
by kiriharakiri | 2008-06-15 00:25 | 社会一般